2014年5月3日 南寧→ハノイ→・・・(→ビエンチャン)
※友谊关(中国)~ドンダン(ベトナム)を電動カートで新国境通過
今日は久しぶりに新国境を通過します。1月の中国⇔ミャンマーは不法出入国のためカウントできないので、昨年の7月以来の新国境超えです。
朝7:20AMにはバスターミナルに到着、出発を待ちます。同じバスに乗る人たちなのか大きな荷物を抱えた人たちが十人ばかり既に待っています。でも、定刻の7:45になっても何ら動きがありません。8:00を過ぎても音沙汰無し。不安になってうろうろしますがらちがあきません。8:15になって乗客が一斉にバスのほうに向かいます。慌てて後を追いかける私。直ぐに乗車開始、乗客は少なく半分くらい席は空いています。結局出発したのは8:30過ぎでした。何のことは無い、客が少なかったので、7:45発がキャンセルになったみたいです(8:20発に統合)。まあ、こんなもんでしょ。
バスは市内を抜け直ぐに高速に乗ります。すると小熊さんによる安全帯(シートベルト)スローガンがバス内のTVで延々と流れます。さすがに私も含め皆シートベルトを締めました。続いて”安全性活”なるスローガンが、これまた延々と流れます。なにかと思えばかわいいコンちゃんが出演していました。なるほど。。。
さて、1時間も高速を走ったでしょうか?あたりに変な山が出現してきました。この辺は桂林と同じようなカルスト地形の岩山があちこちにあるようです(※桂林も広西チワン自治区にある)。最初珍しくて写真をたくさん撮ったのですが、延々と続くので直ぐに飽きました。
途中、疲れのため爆睡、あっという間にベトナム国境の 友谊关 に到着です。
何やら大きめのカードを渡され首からかけるようにとの指示。これをかけていると電動カートにタダで乗れるようです。健康のため歩きたいのですが、こんなところに置いていかれたら非常に面倒なことになるので大人しくカートに乗って移動します。
石門ををくぐり抜け観光客を追い抜き延々と行くと中国側イミグレーションに到着です。イミグレの手前で小銃を持った兵士によるパスポート確認がありちょっと緊張。難癖をつけられることもなく出国手続きは完了、建物の外に出ると別の電動カートが待っていて、順番にピストン輸送をしています。この辺の連携作業は見事です。イミグレの建物を撮ろうとしたら辺境警備の係員がうろうろしているのでビビッたのですが、結局何も言われませんでした(結構適当)。
中国-ベトナムの緩衝地帯も中国側の電動カートで移動です。そしてあっという間にベトナム側イミグレに到着です。国境越えの感慨は何もありません。チケットを持たない人は歩いて移動です。ベトナム側は工事中で道が悪いです。また、ベトナム側イミグレ建物は最近できたようでガランとした雰囲気です。
特筆すべきは、ベトナムの陸路入国に際してビザは不要でした。ビザなし入国条件は出国の航空券が必要といわれていますが、なーんも言われません(でも10日間のみの滞在許可ですが)。それに入国カードの記入もなし(もちろん賄賂もなし)。楽勝です。
あっけなくベトナム入国を果たし、いざバスはハノイ(河内)へ。心は今日の夜19:00発のビエンチャン行きの国際バスに乗れるかどうかです。日程的にはハノイで1泊も可能ですが、できればビエンチャンでまったりしたいです。
ほどなくバスは昼食休憩でボロいドライブインへ。30分の休憩の後、バスは快調にハノイを目指します。田園風景を横切り、ほどなく都市の街並みの様相を呈してきます。既に時計は16:00時を過ぎています。切符が買えるか非常に微妙になってきました。そしてついに16:30、訳の分からない公園の端でバスは停止、終点のようです。乗客は三々五々解散です。わあっと、タクシーの運ちゃんが寄ってきて、何処行くんだ・・・、煩いです。でも廻りを見ると何もありません。仕方なく1台のタクシーに乗ることに。メーターで行くと言ってます(会話は中国語)。
でも、メーターがおかしいです。回り方が異常に早くないかえ? これってマニラでやられたボッタクリと同じ?
行き先はシン・カフェ(旅行会社)と言ったのに何故かどんどん郊外を目指して走っています。「どないなっとるんや!シン・カフェいうたないか!(中国語・英語・日本語ちゃんぽん)」と怒鳴り、運転席を後ろから蹴飛ばします。運転手の兄ちゃんもすごい形相でなにか怒鳴り返します。 押し問答の末Uターン、市街へ突っ込みます。やっと見慣れた雰囲気になるも全然到着する気配がありません。そこで意を決して渋滞停車中にドアを開けて下車、スタコラさっさと逃亡!生まれて初めて無賃乗車(踏み倒し)をしてしましました。運転手の兄ちゃん、ごめん(でも、ちょっと怖かったし、時間もなかったので、許して!)。
さて、何処にいるのか全くわかりませーん!状態で荷物を担いでスタコラ歩きます。すると、旅行代理店を発見、直ぐに飛び込んで今日のビエンチャン行きのバスの切符があるか訪ねます。応対のおねえさんは電話をかけて直ぐにYES.、33USドルとのこと。高いとは思いましたが選んでいる余裕はありません。ベッドシートであることを確認して無事切符をゲットです。すると、16:45にここに来いとの指示。私の時計は17:10なのですが。。。そう、中国-ベトナムの1時間の時差を忘れていました。なーんだ、出発まで3時間近くの余裕があったのね。そういう訳で思いもかけずベトナム・コーヒーを飲める時間ができました。
思わず、ハノイの下町カフェでまったりしてしまいました。
時間きっかりに旅行代理店に戻ると、バイクで近くの別の代理店に連れて行かれ、西洋人軍団と合流、歩いてミニバン乗り場へ皆で歩きます。(本当に500メートルくらい歩いた!!!) 私は荷物が小さいのでよいですが、西洋人パッカーは大荷物なので大変です。
ほどなく車が到着。でもこれバン・タイプのタクシーです。8人いるのですが。。。荷物もすごいしとても乗り切れるとは思いません。それでもベトナム親父は西洋人に乗れとの指示。Oh、No!とあちこちで悲鳴が。でも、これがベトナム、親父が無理やり押し込んで一件落着です。残された私は親父のバイクで悠然とバスターミナルへ、とはいかず、途中でスペイン女をピックアップ、3ケツでターミナルへ向かいます。このスペイン女、3ケツがとても気に入ったのか、生まれてから最もアメージングな出来事だ、とかなんとかメチャはしゃいで大変でした。
バスターミナルで正式なチケットに換えて(本当は500,000ドン、25US$くらい)、出発を待ちます。ここで外人軍団はルアンパバン方面とビエンチャン方面に分かれます。ビエンチャン行きは私も含めて5名です。私は腹が減ったのでフォーを久しぶりに食べ、ベトナムに来たことを実感します。
ビエンチャン行きのバスは確かにありほっとしたのですが、ここでひと悶着。我々外国人軍団の席が一番後ろの雑魚寝席なのです。最後尾以外は1人1人別のシートで快適度は格段の違いです。これは外人に対する明らかに意図的といわざるを得ません(本チケットに換えるタイミングノモンダイ?)。そこで外人部隊みんなで文句を言ったのですが、中国系と思われる老板(経営者)はガンと拒否。4人は仕方なく最後尾に行ったのですが、例のスペイン女だけが強引に席を占拠、大立ち回りを演じることになります。(写真下の右の女)
私といえば川の字の真ん中で、左にフランス女のでかい尻、右に恰幅の良いベトナムおやじの汗臭い背中を感じていました。
そして、窮屈な雑魚寝ベッドの夜は更けていきましたとさ。
※友谊关(中国)~ドンダン(ベトナム)を電動カートで新国境通過
今日は久しぶりに新国境を通過します。1月の中国⇔ミャンマーは不法出入国のためカウントできないので、昨年の7月以来の新国境超えです。
朝7:20AMにはバスターミナルに到着、出発を待ちます。同じバスに乗る人たちなのか大きな荷物を抱えた人たちが十人ばかり既に待っています。でも、定刻の7:45になっても何ら動きがありません。8:00を過ぎても音沙汰無し。不安になってうろうろしますがらちがあきません。8:15になって乗客が一斉にバスのほうに向かいます。慌てて後を追いかける私。直ぐに乗車開始、乗客は少なく半分くらい席は空いています。結局出発したのは8:30過ぎでした。何のことは無い、客が少なかったので、7:45発がキャンセルになったみたいです(8:20発に統合)。まあ、こんなもんでしょ。
河内(ハノ)行きバス |
切符は7:45発なのですが・・・ |
閑散とした待合室 |
バスは市内を抜け直ぐに高速に乗ります。すると小熊さんによる安全帯(シートベルト)スローガンがバス内のTVで延々と流れます。さすがに私も含め皆シートベルトを締めました。続いて”安全性活”なるスローガンが、これまた延々と流れます。なにかと思えばかわいいコンちゃんが出演していました。なるほど。。。
小熊の”安全帯” |
コンちゃんの”安全性活” |
さて、1時間も高速を走ったでしょうか?あたりに変な山が出現してきました。この辺は桂林と同じようなカルスト地形の岩山があちこちにあるようです(※桂林も広西チワン自治区にある)。最初珍しくて写真をたくさん撮ったのですが、延々と続くので直ぐに飽きました。
カルスト地形 1 |
カルスト地形 2 |
カルスト地形 3 |
途中、疲れのため爆睡、あっという間にベトナム国境の 友谊关 に到着です。
何やら大きめのカードを渡され首からかけるようにとの指示。これをかけていると電動カートにタダで乗れるようです。健康のため歩きたいのですが、こんなところに置いていかれたら非常に面倒なことになるので大人しくカートに乗って移動します。
国境ゲートまでの電動カート |
これを首から提げるのです |
ほとんど観光地になっている。。。 |
石門ををくぐり抜け観光客を追い抜き延々と行くと中国側イミグレーションに到着です。イミグレの手前で小銃を持った兵士によるパスポート確認がありちょっと緊張。難癖をつけられることもなく出国手続きは完了、建物の外に出ると別の電動カートが待っていて、順番にピストン輸送をしています。この辺の連携作業は見事です。イミグレの建物を撮ろうとしたら辺境警備の係員がうろうろしているのでビビッたのですが、結局何も言われませんでした(結構適当)。
中国側イミグレを目指す(歩く人少な!) |
イミグレ手前の広場の中国人観光客をけちらすカート! |
大層な中国側イミグレ建屋! |
ベトナム側方面(歩行者用の日除け道ができている) |
中国-ベトナムの緩衝地帯も中国側の電動カートで移動です。そしてあっという間にベトナム側イミグレに到着です。国境越えの感慨は何もありません。チケットを持たない人は歩いて移動です。ベトナム側は工事中で道が悪いです。また、ベトナム側イミグレ建物は最近できたようでガランとした雰囲気です。
特筆すべきは、ベトナムの陸路入国に際してビザは不要でした。ビザなし入国条件は出国の航空券が必要といわれていますが、なーんも言われません(でも10日間のみの滞在許可ですが)。それに入国カードの記入もなし(もちろん賄賂もなし)。楽勝です。
緩衝地帯は工事中(ベトナム担当分のようです) |
ベトナムのイミグレ |
電動カートが待機している(バスまで送迎) |
あっけなくベトナム入国を果たし、いざバスはハノイ(河内)へ。心は今日の夜19:00発のビエンチャン行きの国際バスに乗れるかどうかです。日程的にはハノイで1泊も可能ですが、できればビエンチャンでまったりしたいです。
べトナムらしい華奢な建物 |
ドライブイン |
ドライブインの内部風景 |
ほどなくバスは昼食休憩でボロいドライブインへ。30分の休憩の後、バスは快調にハノイを目指します。田園風景を横切り、ほどなく都市の街並みの様相を呈してきます。既に時計は16:00時を過ぎています。切符が買えるか非常に微妙になってきました。そしてついに16:30、訳の分からない公園の端でバスは停止、終点のようです。乗客は三々五々解散です。わあっと、タクシーの運ちゃんが寄ってきて、何処行くんだ・・・、煩いです。でも廻りを見ると何もありません。仕方なく1台のタクシーに乗ることに。メーターで行くと言ってます(会話は中国語)。
穀倉地帯をゆく |
街らしくなってきました |
疑惑のメーター(初乗り22,000ドン) |
でも、メーターがおかしいです。回り方が異常に早くないかえ? これってマニラでやられたボッタクリと同じ?
行き先はシン・カフェ(旅行会社)と言ったのに何故かどんどん郊外を目指して走っています。「どないなっとるんや!シン・カフェいうたないか!(中国語・英語・日本語ちゃんぽん)」と怒鳴り、運転席を後ろから蹴飛ばします。運転手の兄ちゃんもすごい形相でなにか怒鳴り返します。 押し問答の末Uターン、市街へ突っ込みます。やっと見慣れた雰囲気になるも全然到着する気配がありません。そこで意を決して渋滞停車中にドアを開けて下車、スタコラさっさと逃亡!生まれて初めて無賃乗車(踏み倒し)をしてしましました。運転手の兄ちゃん、ごめん(でも、ちょっと怖かったし、時間もなかったので、許して!)。
さて、何処にいるのか全くわかりませーん!状態で荷物を担いでスタコラ歩きます。すると、旅行代理店を発見、直ぐに飛び込んで今日のビエンチャン行きのバスの切符があるか訪ねます。応対のおねえさんは電話をかけて直ぐにYES.、33USドルとのこと。高いとは思いましたが選んでいる余裕はありません。ベッドシートであることを確認して無事切符をゲットです。すると、16:45にここに来いとの指示。私の時計は17:10なのですが。。。そう、中国-ベトナムの1時間の時差を忘れていました。なーんだ、出発まで3時間近くの余裕があったのね。そういう訳で思いもかけずベトナム・コーヒーを飲める時間ができました。
ハノイの下町風景。緑が多い! |
いっぱい歩いたのでアイス・コーヒーです。(でも、旨い) |
ハノイの下町 2 |
思わず、ハノイの下町カフェでまったりしてしまいました。
時間きっかりに旅行代理店に戻ると、バイクで近くの別の代理店に連れて行かれ、西洋人軍団と合流、歩いてミニバン乗り場へ皆で歩きます。(本当に500メートルくらい歩いた!!!) 私は荷物が小さいのでよいですが、西洋人パッカーは大荷物なので大変です。
ほどなく車が到着。でもこれバン・タイプのタクシーです。8人いるのですが。。。荷物もすごいしとても乗り切れるとは思いません。それでもベトナム親父は西洋人に乗れとの指示。Oh、No!とあちこちで悲鳴が。でも、これがベトナム、親父が無理やり押し込んで一件落着です。残された私は親父のバイクで悠然とバスターミナルへ、とはいかず、途中でスペイン女をピックアップ、3ケツでターミナルへ向かいます。このスペイン女、3ケツがとても気に入ったのか、生まれてから最もアメージングな出来事だ、とかなんとかメチャはしゃいで大変でした。
バスターミナルで正式なチケットに換えて(本当は500,000ドン、25US$くらい)、出発を待ちます。ここで外人軍団はルアンパバン方面とビエンチャン方面に分かれます。ビエンチャン行きは私も含めて5名です。私は腹が減ったのでフォーを久しぶりに食べ、ベトナムに来たことを実感します。
3年ぶり?のフォー |
外人軍団とベトナム椅子で休む男 |
ビエンチャン行きです |
ビエンチャン行きのバスは確かにありほっとしたのですが、ここでひと悶着。我々外国人軍団の席が一番後ろの雑魚寝席なのです。最後尾以外は1人1人別のシートで快適度は格段の違いです。これは外人に対する明らかに意図的といわざるを得ません(本チケットに換えるタイミングノモンダイ?)。そこで外人部隊みんなで文句を言ったのですが、中国系と思われる老板(経営者)はガンと拒否。4人は仕方なく最後尾に行ったのですが、例のスペイン女だけが強引に席を占拠、大立ち回りを演じることになります。(写真下の右の女)
寝台バス車中の風景 |
私といえば川の字の真ん中で、左にフランス女のでかい尻、右に恰幅の良いベトナムおやじの汗臭い背中を感じていました。
そして、窮屈な雑魚寝ベッドの夜は更けていきましたとさ。
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