2011年5月15日日曜日

メコン横断_3 11日目 バンコク

今日は最終日です。バンコクへ行きそこから成田に飛びます(羽田のほうが楽なのですが)。ゆっくりマッサージをしてお風呂で綺麗になって帰りたいと思います。やっぱりかなり疲れているようです。昨日も10時過ぎには疲れて寝てしまいました。そのため、今朝は5時前には目が覚めました。ずっと寝ていられないのは歳をとったかれでしょうかね。
プールサイドでゆっくり朝食を食べちょっとまったりしてから出発です。ソンテウを乗り継ぎ北バスターミナルまで行きます。今日は混んでいるのか直ぐのバスに乗れません。40分待ちです。こんなこともあるんですね。
【バンコク・エカマイ行き直行バス】

 
昼過ぎ、やっと最終目的地バンコクへ到着しました。

何時までこんなバックパッカーの真似事をやっているんだろう、と少し真剣に考えてしまいました。
とはいえ、今回も無事であったことに感謝しながら帰路についた次第です。

メコン横断_3 10日目 パタヤ

今日は第二のハイライト、2つ目の新国境超えです。パイリンの国境は2箇所ありますが、どちらに行くのか分かりません。多分近いほうだと思いますが、着いてからのお楽しみといったところでしょうか。
おっさんなので朝は早いです。6時頃から散歩していると1軒のお粥屋を見つけました。朝早いのに満席です(コーヒー飲んでるのも結構います)。ここのお粥は安くて結構美味しかったです。
【お粥屋店内の様子】

さらにプラプラしていると、7時前だというのに学校で朝礼をしています。やっぱり遅れてくる奴もいたりして結構面白いですね。また、ムスリムの子供もいるのは興味深いです。
【学校の朝礼】

宿の人にボーダー(国境)へ行きたいというと丁度他に2人行く人がいるので一緒に連れて行くとのこと。乗合いタクシーは一杯になるまで待つのでラッキーです。ちなみに、車は1台15ドルで3人で割ると1人5ドルでした。国境へ行くという2人はなんと日本人。何でこんな辺鄙なところに日本人が固まるのでしょうか?やっぱり連休だからでしょうかね。今度の2人は普通で、中年サラリーマンと写真関係の仕事という若者でした。この2人からパイリンの地図が「地球の歩き方」に出ている事を教えてもらいました。私の持っている版ではパイリンは紹介されてなかったので、最近掲載されたのでしょう。地図もちゃんと載っているそうです。パイリンもそこまで一般的になってきたのですね。
さて、車で20分も走らないうちに国境です。やっぱり近いほうの バンパッカード(タイ)-プロム(カンボジア)国境でした。カンボジア側のイミグレで出国手続きをし、歩いてタイ側のイミグレへ。ここまでは賄賂も請求されずいたってスムーズです。
【カンボジア イイグレ(奥の建物)】

で、タイ側のイミグレに行くと、なんと例外なく写真とパスポートのコピーが必要とのこと。ビザを取るわけでもないのに写真とコピーを要求されるなんて今まで一度もありません。タイのイミグレは今まで9箇所通りましたがこんな要求は無いです。場所が違うといろいろあるものですね。写真はありますがコピーは持ってません。係官は奥の7番窓口へ行け、と指示します。仕方なくイミグレを抜けて(まだ入国してないのですが・・・)掘っ立て小屋へ行ってみると、おねえさんがパスポートのコピーを取ってくれて、写真を規定の大きさにはさみでカットしてくれ、ステープラーで留めてくれます。もちろん無料、不思議です。おもむろにイミグレに戻って係員に提示するとすぐにハンコを押してくれました。カタいのかゆるいのかよくわかりません。
【タイのイミグレ】

【サービスのよい7番窓口】

こうして何の緊張感も無く国境を抜けたのですが、その先の足がよくわかりません。たぶんチャンタブリーまでのミニバン(ロットゥー)があるはずなのですが、誰に聞いてもそんなの無いといいます。嘘つきと思いながらも、タクシーかモトサイの選択になりました。仕方ないのでモトサイでソンテウ乗り場(嘘つきモトサイオヤジはバス乗り場に行くと言った)まで行き、ソンテウでチャンタブリー市内まで行きました。てっきりバス・ターミナルに行くものと思っていたら、着いた先はミニバン乗り場でした。ところが、なんとまあ200バーツでパタヤ行きがあるというので、ラッキーです(普通のバスなら乗り継ぎです)。そんな訳で4時頃にはいつもの安宿にチェックインし、プールサイドでビアシンを飲みながらまったりしちゃいました。

メコン横断_3 9日目 パイリン

これからカンボジアの未知のエリアに踏み込みます。今日はプノンペンからバッタンバン、パイリンを経由して国境の村まで行く予定です。状況によってはバッタンバン、もしくはパイリンまでしかいけないかも知れません。バッタンバンまでは定期バスがあるようですが、その先は乗合タクシーか乗合トラックになる模様です。行って見なければわかりません。
【GST社待合室】

ホテルの朝食をしっかり食べ、7時にはセントラル・マーケットのバスステーションに向かいます。GST社の窓口で聞いたらバッタンバン行きは7時45分とのこと、まあよいかとチケット購入。やはりここはカンボジア、定刻には出発しません。30分遅れで出発するも、30分間市内をうろうろしてさらに乗客をピックアップします。結局本格的に出発したのは1時間後の8時45分です。まあ、こんなものでしょう。順調に走ること1時間、何もないところで停車します。何だろうと思ったらトイレ休憩です。カンボジアのトイレの多く(男子はほとんど)は野原です。ここもそのようです。汚いトイレよりはよっぽどましですね(女子は困るでしょうけれど)。
【バスの車窓 土砂降り】

バスは思ったより順調に走っていきます。ところが午後になって急に土砂降りとなりました。ほとんど前が見えなくなり皆徐行を余儀なくされます。雨は一向に止みませんがバスは大きな町に入ってきました。とある待合所らしいところで停車、乗客の半分が降りていきます。バッタンバンか?と聞くと、そうだとのこと。土砂降りの中を降りたはいいが、これからどうしようか・・・と考える暇も無く、何処へ行くんだ、とのオヤジ達の攻撃。こちらも、パイリン、パイリンと応酬。向こうもすぐ分かってちょっと待てのポーズ。椅子まで出してきてくれてサービス満点です。心配することは何もありません、値段を除いては。
程なくして土砂降りの中を1台のカローラが乗り付けてきました。中には既に乗客として大人4名子供3名が乗っています。これに運転手と私で9名乗車のようです。すぐに運転手が私の荷物をトランクに入れようとするので、幾ら?と聞くと400バーツとのこと。高い、200バーツだろう、と言うと、何だかんだ言ってましたがすぐに200バーツになってしまいました。いい加減なものです。
※やり取りは簡単なタイ語。ここはタイの経済圏になっています。
【パイリンへの道路】

走って10分もすると雨は止み、そしてだんだん周りが寂しくなってきました。そして走ること1時間半、パイリンの街に到着、適当な宿に連れて行ってもらいました。もう夕方(4時)なので今日はここに泊まり、明日国境超えをすることに決めました。
【GHの看板】

宿に荷物を解き手早く洗濯を済ませ、早速街中探検です。地図がないのでノートに地図を書きながら主要と思われるところをぶらぶらします。市場ではもうドリアンがうず高く積まれていて、雨季が近いことを物語っています。最近はドリアンもあまり匂わなくなってきているように思います。ちなみに私はあまりドリアンは好きではありません(ビールも飲めなくなるので)。
【パイリンの市場】

町の中心にある公園のまわりにたくさんの屋台が出ており、そこで串揚げを肴にアンコール・ビールをいただきました。こういう屋台で道を行き交う人たちを眺めながらまったりしているのは結構好きです。
【屋台の食事】

メコン横断_3 8日目 プノンペン

早朝まで豪雨と雷が続きました。雨季の始まりなのでしょうか。
今日は国境を超えて一気にプノンペンまで移動します。到着予定は18時30分とのことですが実際は何時間かかるか分かりません。カンボジアではいつもろくなことがないのでちょっと憂鬱です。集合時刻の8時前にに船着場に行くと三々五々西洋人がバックパックを背負って集まっって来ます。その中に1人日本人らしい中年男性がいました(私もそうなのですが)。頭は額から頭頂にかけて禿げていてウエストは100cm?くらいの典型的メタボ体型、身なりといえば白い下着の半袖丸首シャツ、ずり落ちたカーキ色のズボン、そこから縦じまのデカパンが1/4くらい見えています。そして手には黄色いキャリーバッグ。東洋人、中年というだけで珍しい存在なのに、全く島の雰囲気からして浮いた存在です。”あまりかかわりたくないな・・・”思わず心の中で呟いていたました。
時間になると特にトラブルもなくすんなり船に乗れ、対岸のナカサンへ。ここでグループが2つに別れます(運行会社別)。ここで例のオジサンが同じグループになり、ほどなくして話しかけています。やっぱり日本人で、話して見ると格好ほど変な人ではありませんでした。こんな所に一人で来るのですから多少変わってはいますが(人のことは言えません)。待つこと1時間弱、やっと出発です。1時間も走らないうちに国境です。ここは昨年通過しているので特に感慨はありません。ただ、賄賂が酷くなっています。ラオス側、カンボジア側、合わせて5ドルも取られてしましました。こういうのは最近珍しいですけどね。
【ラオス側 イミグレ】

【カンボジア側 イミグレ】

あっという間に国境は通過するのですが、バスが来ません。仕方ないので売店に座って缶入りレッドブル(強精剤)を飲みながらボーとしてます。
【国境の売店】

ほどなく我々のと思われるバスは来ましたが、運転手がどこかにいってしましいました。結局、国境で2時間ほど休憩し、12時半にやっと出発です。朝からまだ1時間しか走ってないんですけど・・・、先が思いやられます。
【カンボジアのバス】

カンボジアのバスは思いの他まともなバスで、エアコンは効くわ、リクライニングは壊れていないわ、椅子の中綿は出てないわ、で合格です。また、道路もかなり改善されているようで穴ぼこ徐行はほとんどなく快適に飛ばします。たまたまバスの隣が東洋人の女性だったのですが、これがなんと中国人女性でしかも日本語ペラペラ。東莞(広州と深せんの間の町)の日系企業で働いていたそうです。そんなこんなしているうちに周りが暗くなった頃シェムリアップとの分岐点に到着、例のオジサンと中国人女性とはここでお別れです。プノンペン組は7~8人で寂しい限りです。そして2時間くらい走ったでしょうか、大通沿いの暗い広場で停車、着いたとのことです。時計を見ると8時40分、どうもプノンペン市内には入っていないようで場所は皆目見当がつきません。バスを降りるといつものようにバイタク、トゥクトゥクの運転手が群がります。バイタクで4ドルと完全なボッタクリです。1~2ドルが相場と思いますが場所がわからないので強気になれずバイタク3ドルで握り、セントラルマーケット近くの宿を指定して走り出します。走り出して30秒でやられた!と思いました。バスはプノンペン市内への入り口となる通称・日本橋から500mくらい手前に止まったていたのでした。これなら1ドルの距離です。まあ、歩ける距離ではないので諦めの境地でいたのですが、橋を渡るとバイクが左に曲がりトンレサップ川沿いを走ります。方向が違うと何度も叫んでも無視します。すると、とあるGHの前で止まり、ここが私の指定した宿だとシャアシャアと言ってのけます。彼は提携しているGHに最初から連れてくる積もりだったのです。確かにプノンペンが初めてであればすでに夜の9時近いし、これから宿探しすることを考えたら我慢するところでしょう。でも私は目的の宿があるし、プノンペンの地理は分かっています。ここで私は完璧に切れました。バイタクの運転手をバカ・アホ・マヌケとさんざん罵倒し(まわりに人垣ができました)、宿の方向に歩き出しました。もちろんお金は払いません。すると運転手はバイクで後ろを付いてきて、「マネー、マネー」としつこく食い下がります。罵倒したり無視したり300メートルくらい来たでしょうか、相手が「1ダラー」と言ってきたので、逆切れされても困るので1ドル渡してバイバイしました。カンボジアで切れて怒鳴り散らすのはこれで3回目です。他の国では切れることは無いのですがね。
ほうほうの体で目的の宿にたどり着き、いつもの中華食堂でメシを食いアンコール・ビールを飲んでやっと落ち着きました。メシ代をドルで払いながら何故カンボジアは何でもドルで払うのだろうと考えてしまいました。1ドル=4,000リエルという相場は固定です。私はリエルに両替したことがありません。リエルをもらうのはいつもドルのお釣りだけです。国民はリエルを信用いていないのですかね?このまますぐ寝るのもなんなので、夜のバービア探検に行ってきました。トンレサップ川に近いエリアに何軒もその手のお店があり、結構綺麗どころが揃っていました。さすがに疲れていたので今日は見るだけで退散です。
【バービア街】

メコン横断_3 7日目 デッド島 2

深夜はすごい雨でした。雷鳴と雨音で目が覚めました。でも朝には雨は止みだんだん晴れてきました。今日は自転車で隣のコン島まで遊びに行ってみようと思います。コン島にはフランス軍が置いていった蒸気機関車とちょっとした滝があり、シーパンドンの中では数少ない観光名所です。
暑くならないうちということで自転車を借りて(また自転車です)川沿いをサイクリングです。行く先々で”サバイデー”、”サバイデー”(こんにちわ)と声がかかります。島の人たちは結構気さくです。デッド島とコン島とは橋で結ばれています。コン島側の橋のたもとで入島料を払い坂を下ると玩具みたいな蒸気機関車が場違いに飾ってあります。地元の人たちがなにか作業をしています。
【写真 蒸気機関車】

デッド島とコン島の詳細な地図はありません。ガイドブックにはソンパミットの滝は橋から歩いて30分、個人で見つけるのは難しい、としか書いてないです。このくそ暑い中(今は”暑期”で最も暑い時期です)見つからなかったらどうしよう、などと思いながら走ること5分、『その看板』はありました。
【写真 滝の案内板】

何のことはない、滝までの道がきちんと整備され、そこは全くの観光地になっていました。滝の入り口に有料の自転車預かり所があり(誰が盗むの?)、滝までの道路沿いには売店が並び、さあ買ってくださいと言わんばかりです。滝はといえば、まあこんなものかというところです。さすがに昨年見たコーンパペンの滝(BigWaterfall)の迫力はありません。
【写真 滝までの道路】

【写真 ソンパミットの滝】

観光客はほとんどが個人旅行の西洋人ですが、中国人の団体がたまにいます。昨年もそうでしたが、バスを借り切って団体で来ています。これらの人たちは東南アジアの華僑ネットワークを使って来ているようです。どこにも華僑系のホテルはたくさんあり、そこは中国人が主に宿泊しています。パクセでGHに空きが無く仕方なく泊まった宿が華僑系でした。宿泊はマイクロバスで来た中国人ばかりでした。たぶん中国語だけで旅行ができるのでしょうね。
滝も期待はずれだったのでコン島のいちばん南まで自転車で行ってみました。そこは船着場で食堂もあり地元の人が真昼間からビアラオで宴会してました。私もつられてビアラオでいい気分になってしまいました。川の向こうはもうカンボジアです。
【遥かに見えるカンボジア】

酔っ払ってほうほの体で宿に戻り一眠りすると、目の前の川では子供達が水遊びしていました。
【洗濯と水遊び】

メコン横断_3 6日目 デッド島 1

チャムパサックはラオスでは珍しくメコン川の西側にあります。そのため、メコンの夕日ではなく、メコンの朝日になります。メコンの夕日はビールを飲みながら何度も見ましたが、朝日は今回初めてです。朝からビールというわけにはいきませんね。
【写真 メコンの朝日】

これから休息の地、デッド島に向かいます。シーパンドン(四千の島)と呼ばれるこの地域は何もないところですが、とてものどかで静かに過ごせるところです。西洋人ばかりですがバンビエンとはちょっと雰囲気が違います。300円のゲストハウスに泊まってハンモックに揺られビールを飲んでボーとしてきます。ラオスでの移動は本来とても大変なのですが、最近はラオスでもお金さえ出せば何でもありの世界になってきてます。何のことはない、今回は泊まったゲストハウスで直接デット島へ運んでくれるチケットが販売されてました。宿の真下から小船に乗って対岸に渡り、そこで超ぼろいミニバンに乗り換えて2時間、デッド島へ渡る船着場に到着です。そこで渡船のチケットを買い再度メコンの支流をを小船で横切ってデッド島へ上陸、昨年宿泊したゲストハウスに午前中に着いてしましました。
【写真 宿からメコン川へ降りる階段】

【写真 デッド島の船着場】

荷物を解くとちょうど昼時、裏の食堂でビアラオを飲みながら昼飯を食っていると、イングランドの青年とフランス娘のカップルに声をかけられました。他愛の無い話でだらだら時間を過ごしましたが、仕事の話になるとちょっと真剣のようでした。いわゆるプー太郎なのでいつまでもここで過ごす訳にも行かないらしく、日本は円高で稼げそうだから仕事をくれ(give me job)と言ってました。なかなかイギリスも大変そうですね。昨年はスコットランドのおじさんとスエーデン/フランスのおばさんと宴会してましたが、2人はお酒は飲まないとのことなので夜の部は無しでした。疲れからかビールを飲むと急に眠気が出てきて、バンガローのハンモックで泥のように眠りました(これが気持ちいい)。
【写真 川とハンモック】

暑い中寝ていたら体がべとべとです。下の川では子供達が水遊び兼フロのようです。地元の人はこの川で顔を洗うし、歯磨き・洗濯・フロ(体を洗う)も全て行います。私も水泳パンツに着替えて一緒に川で体を洗いました。ただ洗髪後のすすぎが難しく、頭を水につけると体が浮いて流されてしまします、川ですから。。。一応宿泊客用のシャワー小屋はありますが、使っている水は川の水なので結局川で洗っても同じなんですよね。こうして1日が終っていきました。

2011年5月6日金曜日

メコン横断_3 5日目 チャムパサック 

今日は念願のワット・プーを尋ねる日です。昨年、日程の関係で断念している世界遺産です。遺跡はあまり興味はないのですが、ワット・プーの宮殿が基点となってアンコール・ワットへの道が作られているそうです。それがどんなものかちょっとだけ見ようと思っています。
昨日到着が遅くなりパクセのコーヒーを飲めなかったので早起きして有名どころのコーヒーを飲みたいと思います。お決まりのタラート・サオ(朝市場)を見学後(たいしたことなかった。新しい市場が活況か?)、デルタコーヒーというお店に行きました。まあ、何の変哲のない普通のコーヒーです。しかもあまり美味しくありません。自家栽培を売りにしているようですがいまいちですね。この辺で栽培されているのはロブスタ種だったか安物の種類で、ブルマンとかの高品質種と違って深く炒って濃く出してコンデンス・ミルクをたくさん入れることで独特の美味さしくなっていると思います。素の味で勝負できるものとは思えないのですが、どうなのでしょうか。まあ、いずれにしろ高いし、二度と飲まないでしょう。 
【写真1 デルタコーヒー&バゲット】

仕方なく通りすがりのベトナム料理店のコーヒーで口直しをしていざ出発です。通りに出てトゥクトゥクを拾ってチャムパサック行きのバスが出るタラート・ダーオファンを目指します。ところが連れて行かれたのがソンテウ乗り場でした。アジアでは乗り手の意思がそのまま通じるとは限りません。交通の担い手がベストと思ったところに乗客は連れて行かれます。ザライのバスターミナルの件もそうでした。こちらの意図に反して予想外のところに連れて行かれます。こちらは訳が分からなくなり迷惑千万なのですが、彼らはそれがベストで顧客指向と思っているのでしょう。確かに今回も予定より40分くらい早くチャムパサックに着きました。でも、目的のゲストハウスを通り過ぎて中心からかなりはずれてしまったため、1KM以上荷物を背負って歩く羽目になったのです。ソンテウとゲストハウスとの間で取り決めがあるのでしょうかね?
【写真2 ソンテウ】

1KM以上歩いた甲斐もあり、目的のGHはメコン川正面でエアコン/ホットシャワーかつ清潔な部屋で文句なしの部屋でした(1,500円強と高めですが)。テラスの向こうにはまさにメコン川がとうとうと流れています。宿泊客は私以外全て西洋人で、皆さん5~6百円の安い部屋に泊まってます。皆さん結構固いです。
【写真3 テラスからメコンの流れ】

落ち着いたところで、自転車を借りてワット・プーへ突撃です。帽子、長袖・長ズボンと完全装備で対応しています。ガイドブックでは片道1時間とありましたが、まったく正しく行きに55分かかりました(休憩時間除く)。灼熱地獄の中を長袖・長ズボンで約1時間の自転車こぎはある意味長距離バス以上の苦行でした。でも、ワット・プーの本殿から見るチャムパサックは素晴らしいものがあります。ワット・プー自体はツアーの団体客で思ったより人がいました(と言っても延べで3~40人くらいですが)。西洋人が最も多いですが中国人もグループで来ているようです。日本人らしい単独女性も2人見かけました。いずれも中年東洋人の私を忌み嫌うように無視してさっさと行ってしまいました。
【写真4 本殿からワット・プーおよびチャムパサックを一望】

【写真5 アンコールワットへの基点となるナンディン宮殿】

帰りはもうへろへろ状態でやっとの思いで宿に辿り着きました。時間は行きと変わらず1時間程度。水を2リットル以上は飲んでいるのですが全くおしっこが出ません。その上、帰り着くやビア・ラオを1本あおったのですがまだ飲み足りません。そして熱中症でしょうか、頭がガンガンしてくるしてくるし、大変なめに会いました。いい歳なのですからバイクくらい借りて行けばもっと楽だったのに。ガイドブックも自転車で簡単に行けるような記載をしてますが少し罪ありますよね。
【写真6 お世話になった自転車】

メコン横断_3 4日目② パクセ 

 やっとバスに乗ることは出来ましたが、アジアのバス苦行は続きます。バスに乗り込むと奥は野菜の山になってました。途中乗車にも関わらず運良く普通の席があてがわれましたが足の踏み場がありません。足元は小型の瓜がところ狭しと置かれています。まわりの座席という座席の下は荷物の山です。良く見るといくぶん椅子の足が長いようです。私の足では全く下まで届かない高さです。もしかして荷物を入れることを前提に椅子の高さを決めているのかも知れません。
【写真1 バスの内部1】

【写真2 バスの内部2】

てな具合で小一時間も走ったでしょうか。バスがある建物に入りトイレ休憩です。トイレから戻ると皆でテーブルを囲んでご飯を食べてます。午前中なのにおやじ連中はビールで宴会状態になってます。そしたらお前も食え、とのジェスチャー。なんと、バス会社のサービスのようでした。たいしたメニューではないのですが、やはり皆でつつく料理は滅茶苦茶美味しく、ご飯をお代わりしてしまい大満足です。
【写真3 大皿料理】

食事を終えてさあ出発です。と10分も経たないうちにいきなり今回のハイライト・国境に到着。いわゆるBOY(ベトナム)-カムサムナ(ラオス)国境です。んー地味、滅茶苦茶地味。最近できた?国境なのでとても地味!周りに何もありません。バスと言えばイミグレ建物の出口側(ラオス方向)にいきなり付けて横着してます。出国手続きは我々のバスだけです。乗客といえば出国手続きが皆終るまでバスは出ないのに何故か我先に窓口に手を突っ込んで争ってバスポートを係官に渡そうとします。中には賄賂を付けて渡そうとしている奴もいます。「この人数しかいないのにそこまでやるか?」結局、賄賂など必要なくすぐにスタンプを押してくれました。
【写真4ベトナムのイミグレ】 

次はバスで1分のラオスのイミグレです。ラオス側もイミグレは立派な建物ですが、手続きはそばのプレハブ小屋で入国手続きをしました。なんと、ここにはコンピューター端末がありません。怪しそうな奴は手書きの注意リスト?のようなものとパスポート番号をつき合わせてチェックをしています(リストは4枚しか無かったですが)。私と言えば、写真と入国カードの確認、過去のスタンプをちら見で終わり。んー、ゆるすぎます。もちろん荷物のチェックなどありません。でも、別の建物でしっかり入国手続き料を取られました(100円程度)、しっかりしてます。たぶん、日曜日だったからだと思います。
【写真5 ラオスのイミグレ】

アメリカ人3人組のアライバル・ビザ取得のため時間はかかりましたが1時間程度で出国手続きは全員完了。バスが走り出すと何故か1分で止まりました。エンジンはかかったままですが、おやじ連中は掘っ立て小屋の売店で酒盛りの続きを始めてしまいました。結局訳も分からず1時間が過ぎ、何人かが乗り込んできて何もなかったように出発しました。よく分かりませんが、待ち合わせでしょうか?
結局パクセに着いたのは夜の7時20分、移動で13時間かかってしまいました。そして当てにしていた宿が満杯で宿を探して夜の街を徘徊し、荷物を降ろしたのは20時を過ぎてしまいました。そして、ただ飯以来の遅い食事を何故かインドカレー屋で食べました。何故カレーかというと、遅くなってここしか開いてなかったのです。これが絶品のマサラでちょっと元気が出ました。もちろんビア・ラオも一緒に頂きます。ビア・ラオを飲むとラオスにいる実感が湧いてきます。そして食堂が西洋人だらけでやっとツーリストの街に入ったことも実感します。
【写真6 カレー屋】

2011年5月3日火曜日

メコン横断_3 4日目① コントゥム

メコン横断_3 4日目‐① コントゥム

今日は最初のハイライト、BOY(ベトナム)-アタプ(ラオス)の国境越えの日です。
ザライからパクセまで国際バスで11時間の長旅です。よい席を確保すべく、バスは7:30発の予定ですが6時にチェックアウトしてバスターミナルに向かいます。宿のオッサンがモトサイで送ってくれたのですが2分でついてしまいました。ちょっと近すぎます。確かにバスはいますが、2台だけで周りは市場のようです。ラオスのパクセに行くことは知っており、これで良いと言い張ります。20,000ドン毟り取られてトンズラされました。仕方なくバスに乗るとすぐに出発。走りすがら道端からどんどん人をピックアップしていきます。でも誰もお金を払いません。「これって、バスターミナルに行くシャトルなのかな?」などとお気楽な考えを巡らせていると恰幅のよい女性が乗り込んできてお金の徴収が始まりました。私のところに来たので、「バスターミナル」とトボケタ言うと一瞬キョトンとしましたが、30,000ドンを提示、言われるままに払いました。バスはその後も止まる気配も無く走っていきます。もはや、バスターミナルに行くことなどあり得ない距離を走ってます。ここでちょっと焦って来ました、私は一体は何処に向かっているのでしょう? ふと、フロントガラスを見ると、逆文字で”KON TUM”の文字、そうか、ネットの情報でBOY国境に一番近い町で、パクセ行きの国際バスもその町を経由することを思い出しました。

事情が読めてくるとトンズラおやじの行動も理解できます。ちょっと安心すると朝早かったからかこのおやじのように気を失ってしまいました。

バスはその後も順調に走り続け、とあるロータリーで終点になりました。丁度1時間走ったことになります。こらからどうするか思案する暇も無く、3~4人に囲まれモトサイの客引き合戦です。ここにもアジアの交通システムは生きています。旅行者が困ることは何もありません。気の弱そうな兄ちゃんと交渉しあっという間に KON TUM のバスターミナルへ到着です。パクセー行きを運行するMailinh社のブースもすぐ見つかりパクセー行きのチケットを購入、8時13分発であることを確認しました。出発まで1時間あるため朝食にフォーを食べ、朝のコーヒーを堪能しました(コーヒーと言ったらアイスにされてしましましたが・・・)。付いてくるお茶はジャスミン茶のようです。


お茶を飲んでいると物売りがやってきます。それも4人も同じようなのが入れ替わり立ち代り来ます。こんんなの売れるかよ!という代物なのですが、売れるんですね。前の男二人連れが現に何か買ってました。待っていると欲しいものが向こうから来るのがアジアです。

ボーッとコーヒーを飲んでいると時間になり、バス乗り場まで行きバスの到着を待ちます。でも、またもやバスが来ません。10分、20分、そして30分が過ぎて行きますがまだ来ません。結局来たのが1時間後の9時15分でした。国際バスとは言えやはりアジアの時間に支配されているバスでした。

以下、②に続く。

2011年4月30日土曜日

メコン横断_3 3日目 ザライ

今日はガイドブックにない町まで来ました。意外にも大きな町のようです。
ザライはその一部を「プレイク」と言っています。地図ではプレイクと記載されることが多いようです。でも、こちらではザライが一般的、パンメトートの宿のおねさんもプレイクは知りませんでしたがザライは知ってました。何のことはない、ザライまでのバスは宿のおねえさんが予約してくれました。ホテルまで迎えに来てくれるとのことです。

でも、7時の約束が結局来たのは8時半、それからバスターミナルまで行って結局出発は9時です。ベトナムのバス苦行は今日も続きました。16人乗りのミニバスに25人(子供含む)は乗ったのではないでしょうか?もちろん風呂桶椅子(写真の赤いやつ)も使ってます。私といえば最前列で運転手と助手席の2人に挟まれ、お尻の下はサイドブレーキ、股の間にシフトギアがあります。
ザライまでの景色は単調で面白くありません。国境でもなければこのようなところにはまず来ないでしょう。山あいの道をただひたすら走ること3時間で到着です。椅子の角が尻に食い込み痺れまくりです。
どうにか適当な宿を確保して荷物を降ろすことができましたが、地図はないし暑いし出て歩く気がしません。洗濯、昼寝して涼しくなって来てからやっと散策です。はっきり言って特徴の無い町並みです。昨日みたいに何かやってないかとうろうろしていたら、なんとサッカーの試合をやってました。結構立派なサッカー場がすぐ近くにあり、周りはモトサイで一杯です。人の後をついてちょっとだけ入りましたが係員にすぐ追い出されてしまいました。観客は満杯でした。(モトサイの波の向こうがサッカー場です)
 追い出されてブラブラすると、やはりカフェがやたら多いんです。こんなところまでカフェだらけなんて。歩道にテーブルが置かれおっさん連中がだべっています。でもここはアジア、テーブルや椅子はプラスチックの安物、パリのカフェとは訳が違います。今日はアイスにしてみました。コーヒーとアイスが別々に出てきて自分でかき混ぜて作るようです。やっぱりホットがおいしいと思います。

メコン横断_3 2日目 パンメトート

 後悔しても遅きに失しました。
噂のとおり、ベトナムの一般の長距離バスを侮ってはいけませんでした。結果として8時間半の体育座りは持病の腰痛を悪化させ、今でも体が揺れています。ペンタイン市場のバス乗り場からつまずきました。ミェンドン・バスステーション行きの26番バスがなかなか来ません。場所が違うのかと荷物を背負ってうろうろすること30分、汗だくです。やっと乗れたと思ったらバスステーションまで70分もかかるし(旅行人の「メコンの国」では30~40分)と記載)。結局、宿を7時に出てパンメトート行きのバスが出たのが9:20でした。その上体育座りで両脇にベトナム人(男)の体温を常に感じていました。お約束の通路の風呂桶椅子も全開です。パンメトートまで8時間とか10時間とか言われていますが、何故こんなに時間がかかるのか良くわかりました。人を途中で拾うこともありますが、道が決定的に悪いのです。工事中や穴ぼこのため徐行、徐行の繰り返し、スピードがでません。多分タイなら4~5時間でいける距離です。時間がかかるにしてもツーリスト・バスにしておけばよかった・・・。
そして、ほうほうの体でパンメトートに着いたのでした。【お約束のロータリーにある戦車】
 HOTEL123でバゲットとコーヒー、バナナの朝食を食べました。今回はじめてのコーヒーです。何故、ベトナムで飲むこの濃くて甘ったるいコーヒーがこんなに美味しいのでしょうか。ブリキのドリップ・メーカーでするのもお約束ですね。

そしてパンメトートで2杯目のコーヒー。このドロッとした感触がたまりません。このカフェーでは無料の水が振舞われていました。珍しいですね。
夕飯に何を食べようかとお店を探していたら、生春巻き屋がありました。手巻き寿司よろしく、自分で生春巻きを巻いて食べるのです。さっぱりして美味しいですが、香草にかなり癖があるので嫌いな人は外したほうがよいかもしれません。それにしても、SAIGON BEERの美味しかったことといったらありませんでした。苦あれあば楽ありです。
戦車ロータリーの隣の屋外公会堂で軍服姿の綺麗どころが歌謡ショーをやってました。子連れやバイクに跨ったままの衆人で大盛況でした。戦車のロータリーでは若者達がブレークダンスをやっているし(こちらも観衆が大盛況)。このギャップもベトナムの現実ですね。