2012年1月31日火曜日

1ヶ月の休暇 第26日(デリー)

2012年1月31日【デリー滞在】
※深夜特急の冒頭の章で有名なメインバザールはKOREA女子に占拠されていた、の巻

今日は1日デリーの街を歩いて見ます。
ニューデリー駅前が出発点
 ニューデリー駅を基点に、まずはデリーの高級商業街であるコンノートプレイスまで1KM弱を歩いてみます。埃が凄くての喉が痛い。。。普通の大人が堂々と立小便をしている奴がいます。程なくコンノートプレースに着きますが、現在町全体が大改装中らしく工事現場と化しています。地図のとおり円形に街ができています。確かにブランド物とかの店が多いですね。中心は公園になっていますが、中は朝からアベックだらけです。インド人よ、これでよいのか?

コンノートプレイス中心の公園
次は地下鉄で世界遺産のクトゥブ・ミナールに行きます。皆さん知ってました?こんな世界遺産。。。目的の駅で降りようとしたら混んでいてちょっとだけ愚図愚図していたらドアが閉まってしましまいた。結局、次の駅で折り返すことに。後で計測したら、乗降客が少ないときは10秒開いてないです、皆さん、デリーの地下鉄を降りる時は気をつけましょう。クトゥブ・ミナールは駅から歩いて20分のところにありました。入場料250ルピー、高すぎて論外。外から見て退却です。
クトゥブ・ミナール
 こんどは地下鉄で中心に戻ってチャンドニ・チョークまで行き、これまた世界遺産のラルー・キラーへ行きます。途中の下町の雰囲気はグッドです。これぞオールド・デリーといったところですね。ラルー・キラーはやっぱり入場料250ルピー、論外です。外から見るだけで十分です。
チャンドラ・チョーク駅から大通りへ出る小径
ラルー・キラーを遠くに望む
  ここから宿まで3KMくらいなのでゆっくり歩いていくことにします。途中のイスラムモスクに立ち寄り、その参道を行こうとしたら何やらイスラムのお祭りをやってます。男達が集団で音楽に合せて胸を叩きまくっています。人数が多いと結構な迫力です。
イスラムの祭り
  そうこうしているうちにニュー・デリーの駅に到着、昼下がりのパハール・ガンンジ(メインバザール)を闊歩し映画館へ。でも、次は6時からで、券は5時から販売とのこと。そうこうしているうちに5時を過ぎ、30ルピー(48円)の入場券を購入します。どんな3流映画なのかワクワクします。映画館は500人収容ですが観客は4から50人というところ、がらがらです。椅子はボロボロ、映画といえば昔の映画みたいにいっぱい線が入ってグッドです。ストーリーはインドのやくざ抗争ってとこですか、でもばっちりロマンス・歌・踊りは定番どおりふんだんに入ってます。でもイマイチでした。。。
パハールガンジ(メインバザール)
今日も夕食はベジ・ターリー
 昼間もそうでしたが、夜メシを食べにメイン・バザールをウロウロすると韓国人だらけで、特に韓国人の女子2人連れがとても目立ちます。だいたい見れば韓国人、中国人、日本人の区別がつくようになりました。韓国女子は大きなバックパックを担いでパッカー丸出しなので直ぐわかります。歩いていると、”ジャパニ!”ではなくほとんど”コリア!、xxxx”と声がかかります。いくら韓国が冬休み中で旅行者が多いとはいえ寂しい限りです。メインバザールはKOREAだらけだ!”日本の若者よ、インドヘ行け、インドへ!”

2012年1月30日月曜日

1ヶ月の休暇 第25日(デリー)

2012年1月30日【デリー→アグラ→デリー】
※タージ・マハルは中国人団体様でっぱい、の巻

今日は夜行でデリーに着いて早朝6時前にも関わらずまずはニュー・デリー駅前通りのメインバザール(別名、パハール・ガンジ)で宿を確保、そのままタージ・マハルのあるアグラへ鉄道で向かいます。夜行列車が遅れたらどうしようとひやひやしていたのですが、30分だけの遅れという上出来の結果で予定通りの列車に乗ることができました。でも、アグラ行きの電車が時間になっても来ません、いきなり2時間遅れの表示、やはりここはインドでした。
(プーリーとダール:駅前食堂で)
ガラガラの車中
列車に乗っていて困ることは、降りる駅が分からないという根本的な問題があります(終着駅なら問題なし)。駅の表示もないし、あってもヒンディー語、もちろん車内放送なんてのっけからありません。だから回りのインド人にアグラまで行くから教えて!と頼むしかありません。たまに嘘を教える奴がいるので複数に聞くことが大切なようです。
さて、どうにかアグラで下車、リキシャーでタージ・マハールを目指します。入場料がなんと750ルピー(水、靴カバー付き)、容赦のない値段です。ちなみにインド人はたったの20ルピーです。確かに建物は綺麗とは思いましたが、この時点で興ざめですね。確かに有名なところだし、一度は見ないととは思いますが、もうわざわざお金を払って入場はしないでしょう。外の屋上のレストランからとかで十分ではないでしょうかね。近くで見ても白い大理石の建物、ということしか分からないですから。。。
タージマハル(池に写る)
 とりあえず、ひととおりの見学コースを廻り、入り口付近のベンチからタージ・マハルをほーっと1時間くらい見て(元をとって)いると、中国人の多いこと多いこと!東洋系で声がでかいから直ぐにわかります。団体ツアー客なのでしょう、子供から年配までたくさんの年代の人がいます。春節の影響はこんなところまで及んでいます。言うのはちょっと失礼ですが、やはり服装はいけてないです。30年前のJALパックツアーの客もこんな感じだったのでしょうね。
巨人の指につままれるタージマハル?
  帰りは電動リキシャーでアグラ城を車中見学(?)し、鉄道でニュー・デリー駅へ、無事アグラの一日観光が完了です。今日もキングフィッシャー・ストロングを飲んでいい気分でお休みです。
(アグラ城(おまけ))

2012年1月29日日曜日

1ヶ月の休暇 第24日(夜行寝台電車)

2012年1月29日【バラーナシー→デリー】
※500円の夜行電車はやっぱり寒かった、の巻き

強烈な印象を与えてくれたバラナシとも今日でお別れです。この糞尿にまみれた路地とお別れするのは寂しい限りです。
列車は午後3時なのでそれまで迷路の復習をします。次回来た時に嘘つきインド人たちに騙されないよに研鑽を積むのです(決して全てのインド人が嘘つきとは言ってません。観光地は嘘つきが多く出現するだけです)。一昨日からのお祭りのためか、黄金のヒンドゥー寺院で何かあるらしくインド人が長~い列を作っています。ただでさえ狭くバイクも牛も通る路地です、歩きにくいといったらありません。やっとの思いで通り過ごしたと思ったら、道を間違えて迷路にはまってしましました。やっとの思い出ガートに出て自分の位置を把握、やはり簡単ではないようです。
さてさてそんなこんなで出発の時刻が迫って来て、チェックアウトです。宿から荷物を抱えてガート伝いにメインロードを目指します。旧市街で一番分かり易いのはガートを伝っていくのが一番です。途中マニトマ・ガートを通過し、約150メートル離れたところからマニトマ・ガートが遠くに入ってしまう風景写真をとったときのことです。どこからともなく、「No Camera。Police! @\x&%$#!)」と言って乞食風の男が寄ってきます。人だかりになったらやばいと思い、「ふざけんな!マニトマ・ガートを撮ってるわけじゃねーよ!」と捨て台詞を吐き(もちろん日本語)、即刻退散です。
(ガート)
ガートでは朝からいろんな商売をやっています。これなどは散髪屋ですね。切った髪の毛を掃除する手間が要らないですね。

散髪屋
 ダシャーシュワメード・ガートまでガートづたいに歩いて近場にいるリキシャで駅へ向かいます。昼も過ぎたので駅のファスト・フード(もちろんカレー)を食べましたまあまあの味ですね。
駅のファスト・フード
 出発まで1時間はあるので駅のホームでぼーと待ちます。ここはインドなので何時に列車がくるのかよくわかりませんが。。。
バラーナシー駅のホーム
 奇跡的に定刻に近い時間に列車は来ました。夜行寝台列車なので明日起きたらニューデリー駅です。夜、車内で弁当の注文をとっていたので頼んでみました。思ったよりボリュームがあり、下手な食堂より美味しかったです。
車内弁当(ベジカレーとチャパティ・米飯)
寝台列車のクラスはSL(スリーパー:3段寝台)です。冷暖房は入っていません。インドは暑いところとの先入観があるかもしれませんが、1月は結構冷えて凍死者も出るとのことです。列車内も深夜は冷えてきてかなり寒くなります。皆毛布持参で乗り込んできています。私もNASA開発のあったかシートにくるまって寝ますが、いまいち暖かくなかったですね。荷物になるけど毛布が一番かも。

2012年1月28日土曜日

1ヶ月の休暇 第23日(バナーラシー)

2012年1月28日【バナラシ滞在】
※ガート制覇はしたものの、いい加減に一人にしてくれ、の巻

日の出前にガートに下りていくと、たくさんのボートがガンジス側に繰り出しています。
 今日はゆくりバラナシの街を歩いてみます。長いガート(沐浴場)を全て回るとともに、旧市街の迷路のような細い道をを散策します。迷路としてはモロッコのフェズ、マラケシュなどが有名ですが、こちらは迷路は迷路でも糞尿まみれの迷(惑)路、牛、ヤギ、犬、そして猿が我が者顔で闊歩する迷路です。

まずは、中心のダシャーシュワメード・ガートを目指します。すると夜明け前にもかかわらずたくさんのヒンドゥー教徒が沐浴の真っ最中です。冬の朝なので結構寒いんです、これが。私なんかダウンジャケットにニット帽のいでたちです。
あっぱれヒンドゥー教徒!と思いきや、水が冷たいのでワーワー、キャーキャーしながら沐浴している人たちも結構います。なかなか踏ん切りがつかない奴もいて結構面白いです。さしずめ、日本の寒中水泳に似ているような。。。
ダシャーシュワメード・ガートの広場ではお祭りの一環なのか、日の出に合わせて何かの礼拝をしています。やっている割にはインド人はあまり見てなく(外人がよく見ている)、みんな好き勝手をしています。火をふりまわすので危なくないのですかね。。。
結構みんな無関心(寒いかfら?)

朝日に向かって礼拝か。。。
やっと朝日がガンジス川(こちらではガンガー)の上に昇ってきました。
ガンガーにやっと日が昇ってきました
  表通りからガートに続く道端には何故か老婆軍団が陣取っています。最初、乞食軍団かと思いましたが、そんなにせびられることもなかったし。なんなのでしょうか。
道端に並ぶ老婆軍団
  いずれにしても、ここまでですでに50回くらいは声をかけられ、腕をつかまれ、うざったいこと至極です。遠くから「ボート!ボート!」というくらいなら可愛いのですが、歌舞伎町よろしくつきまとう奴、道を塞ぐ奴には閉口します。

ということで表通りのチャーイ屋で一休み。
ホット一杯、これがうまい!
元気が出たところで迷路探検です。まずは、日本人に有名なフジホーム。場所がわかりにくいと有名ですが、こんな狭い道沿いなので当たりまえです。
なお当たり前といえば、道は牛も通ります。 大きい牛がいるとどかさないと通れません。
こんなふうに階段の入り口で寝ているやつとか、
俺は眠い

こーんなふうに完全に通せんぼしている奴とかいて。。。ありがたいことに凶暴牛はいませんでした。
通しません!
迷路を歩いているとまたいろんな人がいます、これはサドゥーという修行者です。この人は非常にきれいな格好をしていますが、普通は上半身裸で灰や泥にまみれて汚い格好をしている印象が強いですね。
昼寝をしているサドゥー

そうそう、迷路の途中でじゃまな牛をどなったらガンつけられてしましました。体大きいから怖いんですよね。

さて、これからガート伝いに端から端まで行ってみます。
まずは南方向にいきますと、ガートはいろいろ続くわけです。
途中から洗濯物が増えてきて、ここは洗濯物を乾かすガートだとわかります。必ずしもすべてのガートが人で賑わっているわけではありません。
さらに行くと牛が物凄く増えてきます。そして壁には丸い模様が。。。これ、よく見ると牛の糞です。
洗濯
洗濯と牛の軍団
牛の糞

 そして、ついにガートの南端にたどり着きました。
ここには、壁にシバ神の絵がかいてありました。





南方向に続くガート

ガート 北の端 にいるシーク教徒



続く。。。





2012年1月27日金曜日

1ヶ月の休暇 第22日(インド・バラーナシー) 29番目の国境通過

2012年1月27日【スノウリ→バラーナシー】
【祝!】3つ目の新国境通過!(④スノウリ(ネパール/インド)国境~オープンボーダー)
※白タク300Km激走、その後宿を求めてバラーナシーの迷路を激走、の巻

朝起きたら凄い霧、20M先がかすんで見えます。今日からインド再突入です。また、ウソつき連中とやり合うかと思うと気が沈みます。ましてや昔から悪名高いスノウリ国境です、ただで済むとは到底思えません。その上、まだ咳・痰に苦しめられ頭痛もします。まだ体調は思わしくありません。でも、いつまでもこんな環境の悪いところにいれません、いざ出発です。
(霧のスノウリ)
昨日下見をしたとおり、難なくネパール出国、インド再入国(2回目)を果たしました。インド側でのいじりを期待したのですが、オープン・ボーダー(イミグレもオープン・エアだが)なためかほとんどいい加減です。やる気があるのかないのかこの親父連中は。。。
入国スタンプが押されるやいなや、「ジャパニ!、ドコイク、トモダチ!」3~4人怒涛のごとく押し寄せてきます。「うるせー、わしゃぁ、バナラシじゃぁ~!」。「バナラシ、バスアルヨ、950Rsネ!」「このウソつき野郎、350Rsだろうが、ボッタクリ野郎!」「ウソツカナイ、デラックス・バスネ!」「どれじゃー!」「バスコレネ」「うそつき野朗、ぼろバスじゃねえか!」「ジャパニ、コノバス10Hourカカルネ、ツイタラヨルダヨ。タクシーハヤイ、6Hour、1,200Rsネ(約1,920円)」
確かに途中で乗ってきたり降りたりを繰り返すツーリスト・バスでは何時に着くかわかりません(※ツーリスト・バスとは座席が確保される長距離のローカル・バスのことを指すことを学習済)。1台1,200Rsは安すぎるので同乗者を確認すると2人の西洋人がいるとのこと。確かに荷物もあるし本当に2人同乗することを確認し値切って1,000Rsで交渉成立。ジャスト8時にバナーラシーへ向けてレッツゴーです。ところがどっこい、かの西洋人(ドイツ人)は2時間後途中の鉄道の街ゴーラクルプであっさり下車、がっちり握手をしてバイバイです。さて困った、運転手と2人になり変な緊張感の中2時間、やっとVanarasiの交通標識が。。。「Vanarasi 164Km」なにー?4時間走ってまだ160キロもあるの?全部で200Kmはないと思っていたのですが、よくよく地図を見ると300Kmくらいあるではないですか。さすが、インドは広い!しかしです、”いくらインドの物価が安いといってもTAXIで300Km走って1,000Rs(1,600円)はないだろう、最後に揉めるだろうな、エージェントから領収書ももらってないし。。。”、周りの景色も目に入らず頭の中は着いた時どうするかのシミュレーションがぐるぐる廻っています。そして、2時間後、ラッキーにもイスラムの4人家族をピックアプ、そのままバラーナシーまで同乗です、ここはイスラム家族と同タイミングで下車するしかありません。運転手と2人になったら何処に連れて行かれるかわったものではありません。イスラム家族が降りるというところで、運転手の制止を振り切り下車、運転手がどうしても100Rsチップくれというので、仕方なくあげてバイバイです。
(途中休憩。これぞ素焼きのチャーイ、2ルピーなり)
(白タク)
全く道がわからないのでオート・リキシャーでガートの中心、ダシャーシュワメード・ガートを目指します。まず、この付近の宿をあたろうと思っています。ガートに向かう途中はもの凄い渋滞、1時間で4Km進みません。なにやら明日からお祭りのため人が多いのだそうです。あと数百メートルのところで結局オート・リキシャーを諦めてガート目指して歩き始めます。すると物凄い人だかりの中を、「ジャパニ!、ドコイク、イイヤドアルヨ!」と何故か何人も日本語で話しかけてきます。「うるせー!嘘つき野朗ども!」蹴散らしてズンズンとガートに向かうがなかなか着きません。嘘つき野朗どもが「コッチ、コッチ!」と案内人気取り。そこで周りの人にどっちがガートか聞くと、うそつき野朗どもの方向を指すのでそっちなのか。。。ととりあえず付いていきます。それがなかなか着かない(これは嘘つき野朗どもの作戦)、そのうち「宿を見るだけ見て、近いから」といい、まあ見るだけならと思いきや、薄暗い路地を15分も引きずりまわされてろくでもない宿へ着きます。いかにもインドらしい薄汚い部屋で却下。「ガートはどこだ、ガートは!」と切れて叫ぶとしぶしぶ5~6分分もかけて案内(これがまたも作戦、本当は1分で着く)。やっとガートとご対面、いきなり火葬場、マニカルニカー・ガートです。白い布ににくるまれた遺体がまさにこれから火葬になるところ、既に灰になっているもの、など様々です。どっこい薄暗くなってきたので早く宿を確保せねば、と何処からとも無く「ジャパニ、ナニサガシテル?」との掛け声が。「プジャ・ホテルを探してる」、というと「コッチ」とさっさと案内していきます。こうして目ぼしいホテルを何軒も荷物を背負って坂道を上へ下へ。。。結局ろくなのがなく最初の宿にしかたなくチェック・イン。悔しいかな、地理がわからないことにはこの迷路は手も足も出ません。ガイドが意図的に引きずり廻しているいるのは分かるのですが、自分で歩かないことには全くダメです。
(オートリキシャ)
(人で溢れかえる通り)


(今日もチキンカレーとラッシー。いまいちの味。)





2012年1月26日木曜日

1ヶ月の休暇 第21日(ネパール・スノウリ)

2012年1月26日【ポカラ→スノウリ】
※挑戦再開、の巻

今日は評判の悪いスノウリ国境まで行きます。スノウリで1泊しインドのバナーラシーを目指します。
バスがいきなり警察に止められました。スノウリ行きのローカルバスの車掌が何やら地元の若者と口論になり、揉みあったところで若者がバスに轢かれ大怪我をした模様です。英語のできるネパール人が通訳してくれて、しばらく掛かりそうとのこと。満員の乗客は半数が中国人、それに韓国人、西洋人、地元民といったところ。まあ、今日中にスノウリについてくれれば良いので気楽なものです。結局1時間くらいで再出発、特に影響はありません。
(停車中のバス)
ほどなくスノウリ国境に到着、中国人たちは世界遺産のルンピニまでこのまま乗っていくようです。とりあえず適当な宿をあたって見ますが、泊まれるレベルの部屋ではありません(さすがに2~300円クラスは厳しい)。そこで町一番のホテルに部屋を確保(それでも800円、こんな町です)して街の探検にでかけます。
(街一番のホテル)
まずは国境。ここはオープン国境になっており出入り自由、出入国の手続きは不要です。試しにインド側の街まで行ってみますがお咎めなし(明らかな不法入国)。街の様子を見て戻ってきました。スノウリの街はといえば、トラックの出入りが激しいためすごい埃にまみれた街という印象です。裏ではのどかな生活の風景があり、国境係官も地元の少年とクリケットをやっているという感じ。このとき係官が寄って来て一瞬いちゃもんつけられるのかと身構えたら、おまえもクリケットやらないか、とのお誘いでした。
(ネパール側国境ゲート)
(インド側国境ゲート) 不法入国中
(インド側イミグレ オープンエアです)不法入国中
散策も疲れたので国境ゲート脇のきたない食堂でサンミゲルを呑んでいると野良牛がパン焼き釜の近くで物欲しそうにしていると、突然の早業で焼きたてのチャパティを4~5枚パクリと食べてしましました。このあと追い立てられたことはいうまでもありません。こんな街でも子供はたくましく喧騒の中で勉強をしていました。えらい、明日のネパールは君たちにかかっているのだ。しっかり勉強してね。
(サンミゲル) フィリピンのビールだけど。。。
(じっと隙をうかがう野良牛)
 
(雑踏の中で勉強中)
ひどい埃にさらされていたら喉が痛く頭痛もしてきました。今日も早く寝ます。