2012年8月22日水曜日

マラッカ海峡縦断⑥

2012年8月22日(水) シンガポール→LCCT→羽田

 今日で短い夏休みも終わりです。
シンガポールは宿代とビールが高いのが難点ですが、まあキレイだし食べ物も種類が多く美味しいし、まったりできるところはあるし、まあまあ気に入ってます。今回はフェリーで3度移動したためか結構疲れました。ほとんど座っているだけなのですが何故か疲れますね、年でしょうか。
 朝ゆっくり目に起きそのまMRTでチャンギ空港へ。そしてLCCT経由で羽田へ直行です。シンガポールは私にとって観光するところではありません、休息地といったところでしょうか。参考までに今回掛かった費用を記載します。今回はホテル代が結構かかってしまいました。

チャンギ空港の動くオブジェ

総額 : 46,663円

(内訳)
 交通費: 27,622円(羽田⇔LCCT 15,419円(含むESO)、シンガポール→LCCT 2,981円)、フェリー(3回)7,220円、ほか
 宿泊代: 12,325円(4泊)
 食費 :  4,274円
 その他: 2,442円(Arrival VISA 2,000円(25US$)、散髪 442円)

2012年8月21日火曜日

マラッカ海峡縦断⑤

2012年8月21日(火) バタム→シンガポール(※国境超え)

 今日はシンガポールのリトル・インディアでビリヤニを食べたいと思います。
何年か前にそこの市場で食べたビリヤニは本場インドやバングラデシュよりずっと美味しかったのです(本場でよい店に行ってないだけ?)。
 チェックアウトの12:00ぎりぎりまで溜まってる仕事をこなし、ホテルでタクシーを頼んでバタムセンター(という名前のフェリー乗り場)まで乗り付けます。でも、タクシーがボッタクリ値段でした。ホテル専属の高級ミニバンをあてがわれてしまい、そりゃ高いわけです。今度は流しのタクシーにします。

バタムセンター フェリー乗り場
イミグレ
フェリーの待合室

シンガポールまでのフェリーも結局満席、ゆったりできず散々でした。ただ、最近できたホテルの屋上プール(3連結)がフェリーからはっきり見えたのは面白かったですね。いつかはあそこで泳いで(まったり)してみたいですね。

フェリーの船内
バタムセンター港の桟橋
プールが屋上にある3連ホテル

 そして地下鉄を乗り継ぎいつものゲイランの安宿(他国に比べかなり高いけど)に着いたらもう4時をとうに回ってました(時差1時間)。これからリトルインディアまでビリヤニを食べに行く元気が失せました。。。ゲイランにはホーカーズが沢山あるのでこっちで食べることにします。食べる前にお約束の散髪です。近くの激安散髪店で6.8シンガポール・ドル(約442円)、いつも行くスンガイコロクの理髪店の倍近い値段です。さすが物価は高いですね。
 次はホーカーズですが、おかず3品のぶっかけご飯が3.3S$、ビールの大瓶が6S$です。食べるところは店の外でほとんど歩道(人が横をバンバン歩いていきます)ですが、やはりご飯は美味しいです。また、オープンエアで飲む冷たいビールは最高です(もっとビールが安ければ。。。)。結局すぐに部屋に帰る気がしないので、店を変えて屋外テレビを見ながらまったりビールを飲んでました。地元の人もまったりしてますが、皆(大き目のグラスの熱い)お茶かコーヒーをちびちびやってます。こうしてシンガポールの1日が終わりっていきます。ビリヤニはまた今度!(ついでにラクサの食べ比べも)

ホーカーズの賑わい
ビールを飲んでまったり

2012年8月20日月曜日

マラッカ海峡縦断④

2012年8月20日(月) バタム

 今日は予定外のバタムの休日です。
本当はマラッカでまったりするはずだったのに、とても残念です。仕方ないので、事前確認で気になっていた”ナゴヤ・ヒル”まで行こうと思います。 まずは日課の早朝散歩です。こちらの人は皆バイクなので歩いている人がいません。一人疎外感を味わいながら歩いているとやはり朝市をやってました。

活気のある朝市
謎のカゴ(答えは最後に)

 散歩から戻りシャワーを浴びてさっぱりし、安宿に荷物を預けいざ探検です。行き当たりばったりで建物が密集している方向を目指します。さすがに10時を過ぎるとかなり暑く汗だくです。適当に歩くこと約30分、車が吸い込まれていく大きな建物を発見、入り口には”NAGOYA HILL”の文字が。ここは昔来たことのある巨大ショッピング・モールでした。なるほど、ナゴヤ・ヒルはショッピング・モールなのね、と納得。フィリピンと同じで皆さん涼みにきています。私もやることがないので予約しているホテル(4☆、超プロモーション価格)のチェックイン時間までここで涼むことにしました。

カラフルな街並み(ほんの一部)
何故かカバン屋が集積しているところあり
コレ、4ケツです。(ベトナム顔まけ)
ナゴヤ・ヒル裏口めっけ!
これがナゴヤヒル正面

 平日の午前中だというのに人がいっぱいです。それもそのはず、今日も断食明け大祭(2日目)です。なかなか日本とは違う光景が展開されて見ているだけで楽しいものです。残念なのは日本円の両替レートがボッタクリ・レートであることです。最近の公式レートは1円=120ルピーなのに、ここの両替屋は1円=80ルピーです(ちなみにATMだと1円=118ルピー(手数料混み)でした)。酷過ぎですね、日本人は相手にしていないということですね(もちろんここで両替はしませんけど)。このレートはフェリー乗り場でも同じです。

最近、かわいい系イスラム看板を良く見かける(中東は?)
日本代表軍団?に遭遇。
ナゴヤ・ヒルの吹き抜け
これが噂のボッタクリ・レートだ!(ウォンも酷いけど)
良く見ると肌は褐色系です
ネシアにコインはないのだが。。(プリペイドカード仕様です)
南国フルーツ全開です
さすが4☆ホテル。久しぶりです。

 結局、今日はナゴヤ・ヒルで一日を過ごしましたとさ。
   ※答え: バイクの後ろにつけるカゴのアタッチメントです。

2012年8月19日日曜日

マラッカ海峡縦断③

2012年8月19日(日) ドゥマイ→バタム

 今日はイドゥル・フィトリ(断食明け大祭)だそうですです。そりゃ混むわけだ!
 安宿の無料朝食をしっかりいただきました。お店には地元のオヤジと中華系のおばあさんとその娘らしきおばさん、とってもローカルです。時間があったので街を少しだけ散歩です。あまり人は歩いていないですね。

無料の朝食。お粥もあるでよぉ。
宿泊したCity Hotel
ホテル前の大通り
ドゥマイの街並み
最高級ホテル xxxx(ATMが目の前)

 7:00AMには約束どおり旅行会社のカウンターに到着、既に5人家族が長椅子で待っています。でもやっぱり7:00にバスは出発しません。10分が経ち、30分が経ち。。。そぞろ人が集まってきます。疲れが出て椅子で寝てしまいます。そして1時間経過したところで起こされいざ出発です。まあ、田舎はこんなものでしょう。旅行会社からミニバスでフェリー乗り場まで乗せてくれるのです。昨夜のフェリー乗り場まで約6~7分、あっと言う間に到着です。すぐに乗船、船は結構大きく座席数もそれなりにあります。結局出発時刻の9:00にはほぼ満席になりました。

フェリー会社。受付の女子がかわいい。
フェリー乗り場
イミグレ兼待ち合いロビー
これがフェリーだ

 船は島沿いに南下をし、途中3回停泊し乗客の入れ替えがあります。でも必ず満員近くになってしまいます。確かに休日であることを実感しました。途中船の屋上に出ましたが、昨日と同じような感じなのですぐに飽きてしまい、自分の座席(全席指定席)で眠りこけていました。やっと夕方の4時にバタム島に到着、タクシーでホテルに向かいます(バタムはタクシーしかありません)。向かったホテルは明日の予約はしてありますが、今日は予約なしです。予定より1日早くバタムに到着したからです。フロントで今日泊まれるか聞きましたが、スイートしか空いてない、とのこと。休日だから?体の良いお断り?仕方なく荷物背負って宿探しです。丁度怪しげなホテルが近くにあり値段も手ごろ、問題なしです。


上級客室(別料金らしい)
上級きゃくしつは金持ち系華人に占領されていた

救命胴着の説明はいかつい男が説明する
一気にマラッカ海峡を南下する
熱帯とは言え長時間風に当たると寒いのだ!

途中寄航のひとつ

 荷物を置いて早速探検です。以前バタム島には来たことがありますが、地図がないので土地勘ができていません。はっきり言って今何処にいるのか皆目見当がつきません。周りをぶらぶらすると隣が古いショッピングモールのようです。客はあまりいませんがケンタッキーはあるし、まあまあの商店街です。いくつかのホテルが近くに点在していてなかなか捕らえどころのない街です。結局、移動の疲れが取れないのでケンタで夕食を食べ、スーパーでビールを買い込んでテレビを見ながら部屋飲みをして寝ましまいました。

港に到着だぁ。

セパング港に到着する

今日の夕食はケンタ。ご飯付きがこちら風。

コーラの分量が少なめ?損した気分?



2012年8月18日土曜日

マラッカ海峡縦断②-2 祝!30番目の国境通過

2012年8月18日(土) LCCT→マラッカ→ドゥマイ(インドネシア)

【第2部】
 船内はすえた汗臭いにおいが漂い、椅子は相当年季が入っています。アジア的にはまともですがこの値段には釣り合いません。とりあえず席を確保し安心すると急に睡魔に襲われ爆睡です。どれほど眠ったでしょか、気がつくとすえた汗臭さと機械油の臭いが充満しています。耐え切れず船の屋上へ思わず退避します。そこはほどほどのスペースで雑然と荷物が転がっていますが、マラッカ海峡を吹く風が気持ちよくなかなかの気分です。大きなタンカーなども居てさすが交通の要衝です。おもわず中学校で習った地図が頭をよぎります。海賊なんか出ないだろうな、と思いながら辺りを見回します(今時いるわけはないでしょうが)。空は曇っていて熱くはなく丁度よいくらいです。が、楽しみにしていたマラッカの夕日はお預けになりました(まあ、ビールも買ってくるのを忘れましたから)。

マラッカを出港!
マラッカ海峡のタンカー
マラッカの夕日。ビールはありません。。。

そうこうするうちに大きなコンビナート施設が見えてきて船が減速し始めました。どうやらドゥマイに到着のようです。船は6時半過ぎ(時差+1時間)に到着、約3時間の船旅でした。下船後、乗客と一緒にイミグレに向かいます。私の順番が来て、アライバル・ビザはどこで取るの?と聞くと、待ってろとの指示。あっという間に私を除く全員の入国審査完了です。皆迎えの車やバイタクにまたがりどんどん居なくなります。がらんとしたホールにぽつねん、と一人取り残され辺りがだんだん暗くなってきます。ドゥマイという街は地球の歩き方には載っておらず、ネットで調べるとかなり危険な街で気をつけたほうがよい、男は荒くれが多くまともなホテルなどなく、コンクリートの上に寝るような部屋だ、などと書かれていることを思い出しました。確かにネットで調べてもドゥマイのホテルなど出てきやしません。久しぶりにちょっと不安になってきました。


仕方ないので台の上に腰掛けていると、係官だかなんだかよくわからない男(田舎のイミグレにはこの手の輩が多い)が話しかけてきて、「どこから来たのか?」「職業は何か?」・・・、いろいろ質問してきます。そこに2人ばかり見るからに普通のオヤジが加わっての質問攻めです。果ては私のカバンを開けて持ち物検査の始まりです。一つ一つ摘み上げてこれは何だ、何だと。そして興味があるものが出てくると「これはいいね!」との評価を加えます。まあ、ねだられなかっただけ良しとしましょう。思ったより軽いノリの人たちだったので、こちらも情報を探ります。近くに良いホテルはあるのか?それは歩いていけるのか、など。すると、皆で喧々諤々の議論が始まり、あのホテルが良いだの、あれは高いだのいろいろ情報が出てきます。ところで後どれだけ待てばよいのか?と聞くと、30分くらいとのこと。何のことはない、ビザを発給できる係官が家に帰たので呼び戻しているとのこと。明日がイスラムの祝日のため運行時間が変更になったのですが、係官は勤務時間を過ぎたため帰ったらしいのです。あと30分かぁ、腹も減ったし(昼飯抜き)意気消沈です。すると15分もたたないうちに係官到着、全くの普段着オヤジです。その場で係官はビザシールに全て手書きで書き込んでサインして完成、やっとイミグレを通過しました。外は真っ暗になっていました。
まともなベッドの部屋。コンクリートではありません。
断食明けの飾り付け?それにしてはしょぼい。

 外はタクシーはおろかバイタクさえいません。さてどうしたものかと思っていると、1人のオヤジがホテルまで車で送ってくれるとのこと。ちょっとばかり心配でしたが、なんとなんと非常に親切で助かりました。このオヤジ、フェリー会社の従業員らしく、私が明朝バタム島までフェリーで行きたいことを聞いて自分の会社まで連れて行ってくれたのです(値段はリーズナブル、無料送迎付き)。ホテルはその2件隣り、その上ATMまで連れて行ってくれて一石三鳥でした。ホテルまではたぶ1.5km強くらいで歩けないことはないと思います。ただ、荷物背負っては厳しいですね。ホテルはちゃんとしたベッドがあり、ホットシャワーにエアコン完備、まずまずです。ただ、若干カビ臭いのは減点ポイントですね。荷物を置くとまずは街の散策と夕食です。通り(ジャラン)は広いですが車は多くありません。バイクは異常に多いです。ベトナムに近いと思ってもらえればよいかと。街並みははっきり言って特徴はありません。どこが中心地かもよくわかりません(地図もないので)。でも街は断食明けの飾りつけがしてあり、人で賑わっています。また、あちこちで市販の打ち上げ花火が上がります。歩いているといきなり中央分離帯から打ちあがるのでちょっと怖いです。まあそうこうして、適当な食堂に入ってみますが、メニューがわかりません。結局となりのテーブルの焼き鳥を指差しオーダー。ビールは勿論ないので(イスラムですから)、コーラを頼みます。本物のコーラかよくわかりませんが、東南アジアの食事には甘いコーラが良く合います。お腹も膨れたのでホテルに帰って爆睡です。

自転車で子供の乗り物を動かすオヤジ
Coca Colaです。もちろん冷えてません。
やっとまともな食事に。鳥の腿肉ですが美味しい。

 今日は本当に長い一日でした。